気まぐれ快速急行のさすらい日記

日本国内をフラフラさすらいますよ~!!

あたふたと支度し電車にギリで間に合ったがぁ~!!

11:45更新。

23:30から8:00の睡眠でした。

途中何度も目は覚めたが、時間的にはまずまずだな。

起きたての体重73キロと太く😩・血圧138-86と高い😓。

 

そして祝日で油断してたわ。

先週から、始まった朝ドラの初回をプラスで見忘れてた。

実家はBSあっても自宅にはないし土曜は仕事でっせ。

 

朝から雨もカサ差して一番近いコンビニ往復1.3キロ→

田上方面途中折り返し2.4キロ→また一番近いコンビニ

往復1.3キロの計5キロを歩いた。

雨は降ったり止んだりで降っても小降り。

しかし強い南風でビニールカサは時々持って行かれそう

にはなった。

 

10:00過ぎに帰宅し朝風呂→朝食→急支度し何とか電車

には間に合ったが、財布見当たらずで1000円札1枚握り

しめて駅へ急いだ。

が、券売機が受け付けてくれない😫。

一部が濡れてたためらしいが駅員さんに札を取り替えて

もらえてギリで間に合いましたぁ。

 

本来は金沢に行って残り半年の命の「オレ様の北陸線」の

最後を楽しみたかったが、天気がイマイチなのとやや

体が疲れ気味で親を監視しつつ実家で休養する事に

変更しました。3連休最終日は実家への移動で終わる

見込みだ。

 

 

追記・・・12:15

佐渡汽船行バスはバスセンターに到着し扉が開くと

スゲー「カレー臭😫」。

しかも券売機に100名位並んでますぜ。

いつもの5倍はいるよ。

オレ様も1本前の電車で行って食べたかったわ。

 

荷物が多いので新潟駅から佐渡汽船行バスにしたが、

雨が降り続き濡れなくてラクラクでした。

親には帰るとはまだ言ってないから佐渡汽船着いたら

迎えの電話をする。

 

 

追記・・・22:40

佐渡海峡は白波がたってたけど揺れはなし。

けどWI-FIが途中繋がらず、仕方ないから沖縄のデジカメ

の編集をした。

 

そして姫崎灯台にさしかかる頃、やっと親に電話が通じ

迎えを要請~。上陸後はローカルスーパー2店とローソン

で買い物し、住吉公民館で下車。

実家までの2.5キロを歩いた。

 

今日は空気が澄んでて本州の山々がよく見えた。

それと粟島もしっかり確認、多分生まれて初めてだぁ~。

最後0.5キロ付近から雨が降って来たけど何とか逃げ切る。

今日は7.5キロを加算し、これで2023年通算2106キロと

なりました。(10月は82.5キロ)

 

明るい17:00前には帰宅し、休憩してから18:00過ぎから

夕食だったがオレ様が全て支度したわ。

それ以降はこたつに入りダラダラとテレビ見てます。

月曜から夜ふかし~」は今週もないんかい。

 

最高気温はオレ様区は14:14に19℃・佐渡が16:00に

20.3℃は徘徊中だな。天気はオレ様区はほぼ曇り→

中央区は雨→佐渡はほぼ曇りでした。

日本一の最高気温は沖縄県のツートップで竹富島大原

石垣市盛山の32.2℃ね。今日もトップ10はオール

沖縄でした。

実家86

0000

 

自宅→自宅最寄駅

最寄駅→11:55新潟 ※空いてた!

E129系4両+2両 クモハE128-105新ニイ

新潟駅前12:05→バス→12:20佐渡汽船   

※最大7名で佐渡汽船まではたった2名。(260円)

新潟港12:35→ときわ丸→15:05両津港 

※ソコソコ乗ってた、波あったけど揺れなし。(2900円)

佐渡汽船→親の車→実家

 

さて、1年前の北海道のこの日は「北斗」で南下しました。

                    2022/9/28

 

東室蘭から海に近い「北舟岡駅」を通過~。

 

少しぼんやりの空も「噴火湾」は穏やかでした。

 

並走する車を入れてみました。

 

もうすぐ「森駅」かな。

 

その「森駅」には昼寝中の函ハコのキハ40がいました。

 

「森駅」を発車すると上り坂を一気に駆け上がる「北斗」

これが単車のキハ40だとしんどそうに走ります~。

駒ヶ岳の側面もよく見えた。

 

なので「大沼公園駅」で下車ね。

 

この場所からはよく見る風景。

 

ハイシーズンが終わりボートも天日干しかぁ?

 

オレ様の定点撮影地はここだす😉~!

 

遊歩道を歩くも観光客は少ない。

 

函館市内よりも最近はこちらでゆっくりがいいねぇ~。

 

やはり天気がドンピャだったのがよかったワン。

 

う~ん、何と言う花だっけ?

 

駅に戻る途中にJR東の「四季島」親方に抜かれました。

 

以前この付近で🐍を見た事がありまっせ。

 

そして次の「北斗」で函館へ向かいました。